生誕~学生時代

昭和38年(1963年)5月21日生まれ

母の「つわり」がひどくお産直前まで「つわり」が続き、産まれた私も栄養失調状態であったようですが3000グラムでの誕生でした。

 

 

その後、驚異的な生命力と食欲で大きく成長し、2歳の頃、健康優良児コンテストで優勝致しました。

相模原市立東林小学校時代

小学校では児童会の役員選挙に出て、児童会役員を務めました。


「これからは農業に力を入れるべきだ!」との思いから友達何人かと「農業クラブ」設立運動をしましたが、運動の甲斐なく校長先生に説得され断念した思い出があります。

相模原市立上鶴間中学校時代

3年間、軟式テニス部に所属し、真っ黒になって練習をしていました。


中学2年の頃に「銀座ナウ」という番組がはやり、その番組の中の洋楽を紹介するコーナーで、ベイシティローラーズというイギリスのバンドを知り彼らに夢中になりました。初めて触れる外国の音楽。彼らが何を歌っているのかが知りたくて、知りたくて英語を必死で勉強しました。この頃から私の英語好きが始まったように思います。

神奈川県立相武台高校時代

相武台高校(現在の相模原青陵高校)第一期生。入学して1年間は仮校舎のプレハブでの授業でしたが、同級生との一体感があり、不自由ながらも楽しい1年間でした。


高校では、硬式テニス部に所属しました。2年生からは新築校舎に引っ越しをしましたが、テニスコートは勿論なく、自分達で土を掘り起こし、ローラーをかけてコート作りから始めました。副部長を務め、2年生の夏休みに部長とペアを組んで、初の県大会ダブルスの試合に臨みました。二人とも軟式出身であった為、無謀にも硬式テニスのルールを知らないで望んだ試合でした。敗戦者が次の試合の審判をするというルールを当日我々は知り、愕然としたのを覚えています。しかしながら、なんと予選の4回戦(その日の最終戦)まで勝ち進むことができました。4回戦では敗退致しましたが、その日の最終戦まで勝ち進んだ為、心配していた審判は最後までしなくて済みました(笑)。

我々が勝ち進むとは誰も予想していなく、顧問の先生は大興奮されて「よくやった!よくやった!」とお褒めを頂き、「帰りに二人で何か甘いものでも食べて帰りなさい」と2,000円頂いたのを覚えています。その時の試合会場は江ノ電駅の「鎌倉高校」でしたので、今でも近くを通るとその時の思い出がよみがえります。



両親にねだりにねだって、高校1年生の夏休みにアメリカ・サンフランシスコへの1か月の語学留学に行かせてもらいました。当時は、まったく英語が話せなく、絵を描いて説明をし、身振り手振りでのホストファミリーとのやり取りでした。 特にホストマザーの早口な言葉がまったくと言っていいほど分からなかったです。しかし、10年ぶりにアップルコンピュータでサンフランシスコに出張に行った際に、ホストファミリーとお会いした時には、「こんなにゆっくり話してくれていたのかな?」と思い、時の流れを感じました。

杉原えいこサポーターズ

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