お杉の宣言

藤沢のお杉、藤沢に惚れ込みました!

辻堂駅に降り立つと「ぷーん」と香る潮の匂い。「あ~、家に戻ってきた」とホッとする瞬間です。「70歳代の男性が行方不明になりました、お心当たりの方は藤沢警察まで」と、帰宅時間にどこからか聞こえるアナウンス。次の日、同じ時刻にまた同じ場所を通ると「昨日行方不明だった方は無事に保護されました。皆さんご協力ありがとうございました」と入る放送。「いい街だなあ」と感じます。街全体が「海の家」のようで、都心では味わえない、ゆったりとした空気が流れている藤沢市が大好きです。


48歳の時に、人生の師と慕っていた方が突然お亡くなりになり、人の命の儚さに直面しました。

そして、49歳の時に初めて手術を受けました。病気自体は直接死に関わるようなものではありませんでしたが、自分の人生にはいつか終わりがくることを意識する出来事でした。そして、50歳を迎え自分が今までやってきたこと、これからの人生を考え直しました。人生の折り返し地点を過ぎ、いつ自分に急な死が訪れても後悔がないよう、これからの残りの人生を「本当に自分が大事に思うこと」の為に働きたいと思いました。


私は、かれこれ30年近く仕事をしてきて、その途中に結婚・出産も経験し自分のやりたいことをしてきたと信じてきました。実は、子供の頃の私は「おせっかいやき」でした。頼まれてもいないのに虐められている子がいれば、いじめっ子に食ってかかる性格でした。それが、大人になるにつれて家族の為・会社の為と言い訳をし「おせっかいやき」の私は後ろに隠れてしまっていました。

子供の頃から、政治には興味があり小学校の文集に「女性初の総理大臣になりたい」と書いた私ですが、大人になるにつれ、色々な言い訳をし、「地元の名士の子供ではないから」「親兄弟に政治家はいないから」「そんな大それたことは私にはできるはずはないから」と自分自身にブレーキをかけてきました。しかし今は、「50歳という年齢を過ぎた自分だから」「色々な経験を積んできた自分だからこそ」他の人とは違う目線で見ることができるのではないかと思います。色々なバックグランドを背負った様々な経験を持った政治を志す者も必要なのではないかと。


2012年に長年の念願だった藤沢市に移住致しました。気候も環境も良いなかで、ご自身のライフスタイルを大事にしている方が多いのが藤沢です。 そして、なによりも郷土を愛し誇りに思っている方が多く、皆さんが更に藤沢を良くしていこうとエネルギッシュに活動されている姿を目にし、感銘を受けました。幸いにもそのお仲間に入れて頂き一緒に活動していくうちに、ますます藤沢が大好きになりました。

 

生まれた場所は私には選べませんでしたが、私が生涯を終える場所を私は選べます。

私の一人息子への遺言は「藤沢の海に骨をまいて欲しい」です。

 

とことん惚れ込んだ藤沢の為にお杉が働きます。

 

藤沢のお杉、身も心も藤沢と一緒です!


杉原えいこサポーターズ

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